「逆説の日本史1」読了。


日本の歴史学において三つの不満があり、それらを考慮しながら新しい視点を提案するシリーズ。その不満とは以下。
・史料至上主義(史料にあることを重視しすぎてしまう)
権威主義(権威のある人の説への批判が許されない)
・呪術的側面の無視ないし軽視

この不満について述べた序論がとてもすばらしい。考古学ではこういう考え方は常識なんだろうとは思う。


最初の史料至上主義についての説明として、
広辞苑に「アダルト」は載っているが「アダルト・ビデオ」は載っていないことから、物的証拠に頼りすぎることの欠点の例として)「『広辞苑』といえば日本の国語辞書のうち最良のものの一つである。つまり現代日本語に関する最良の資料(史料)といっていい。その資料に記載されていないのだから『アダルト・ビデオ』なる言葉(あるいは実体)は、この世に存在しない」


信長が城と町に「安土」という名前をつけたことについて、そのような地名が存在したからそれに沿ったという説と、「平安楽土」という言葉から取った説がある。「平安楽土」を由来とすると明確に記載した文書はない。よって地名をとったという説が重視されている。
しかし「平安楽土」という言葉は当時一般的な言葉であった。また当時の都は平安京である。そのため当時の人間は説明されるまでもなく、安土というのは京の都に対抗して付けたんだなということが分かる。


もう一例、「中日ドラゴンズの論理」の説明。
ドラゴンズという名前はどのように付けられたか。現代人の常識では野球チームの名前には強そうな動物を付けることが多い。ここで『ドラゴンズ50年史』には『二十二年、チームは中部日本新聞社社長杉山虎之助のエトが『辰年』であることから、それにちなんでニックネームが『ドラゴンズ』と決まった」と書かれている。『ドラゴンズ50年史』は、「関係者」が「同時代に」「公刊の書物」として書いたものである。そこで歴史学者がこう主張したらどうだろうか。「ドラゴンズは社長のエトにちなむもので、タイガース等と対抗して命名されたというのは間違いである」
現代の人間にとっては、社長のエトというのは単なるきっかけに過ぎなく、まず強そうな動物の名前を探していたのは明白である。もしエトがサルやウサギだったらそのような名前になったのだろうか。


なお倭の謎として、大国主命の話が出てくる。ここで、出雲大社に祭られている大国主命は、参拝客とは正対せず、参拝者から見て左を向いて座っているとのこと。参拝者と正対しているのは、天之御中主神など五柱の神である。
これは国譲りをした大国主命の怨霊をおそれ、五柱の神で監視をしている。傍証としては、出雲大社は注連縄の巻き方や拍手の打ち方が違っていることがある。


出雲大社も一度参拝したいものだ。


本日の返却は4.5冊。

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)
逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)