陸軍省軍務局と日米開戦」読了。


昭和16年10月17日、東条内閣の組閣が決定してから同12月8日の太平洋戦争開戦までのドキュメンタリー。開戦の決定には陸軍省軍務局が大きな影響を持っていた。
開戦には「ハル・ノート」が決定打となったと言われている。これについての言及も詳しい。


日米間で4月から外交交渉を続けていたが、提案内容は以下のコーデル・ハル国務長官が当初に出したハル四原則に抵触するとされて、交渉はまとまらなかった。

  • 両国およびあらゆる国民の領土保全と主権の尊重
  • 他国の国内問題への不干渉原則の支持
  • 通商上の機会均等を含む平等原則の支持
  • 平和的手段による変更以外は太平洋は現状不攪乱


11月21日、日本から最終提案である乙案が出される。内容は以下。

  • 日米両国は仏印以外の東南アジア、南太平洋地域で武力不使用
  • 日米両国は蘭領印度で互いに必要とする物資の確保に相互協力
  • 米国は年間百万トン航空揮発油の対日供給を約束する
  • 米国政府は日支両国の和平努力に支障を与える行動をしない(シナ事変に干渉しない。中国政府への支援をやめる)


この第四項について、ハルは「米国の政策は蒋介石を助けることである」とし、日本の平和政策が明らかになるのが前提であるとしている。日本側は援蒋停止が先と主張しており、争点となった。


11月26日、アメリカからハル・ノートが出される。
ハル四原則の再確認である第一項と、当面の措置としての十項目からなる第二項で、その中の主な争点は以下。

  • 日本は支那仏印からのいっさいの軍隊を撤収(この条項は、日本側は満州からの撤収を含むと見なしていたが、アメリカ側としては含まないと考えていたという研究があるらしい)
  • 三国同盟の否認
  • 日米両国は重慶政府を軍事、政治、経済的に支持

この背景には、もっと穏やかな案もあったが、その案への英国、中国、オランダからの反対があったことや、8月のチャーチル首相とルーズベルト大統領の間の密約「ドイツ壊滅のためのソ連援助。日本には武力発動をしないで適当にあしらっておくが、その後は機をみて戦争に応じる態度を整える」があった。


ハル・ノートを見た東郷外相は「目の前が真っ暗になった。戦争を避けるためにこの条件をのもうとしたができなかった」と述懐した。
「これでは何のための日米交渉だったのか。英米の意思によってふり回されるのではもはや国家ではない。大陸から後退することになると、帝国は威信を失墜し、大陸の市場も失う。三国同盟離脱に至っては、帝国の行動が功利主義から発するものと、世界に受け取られる。満州事変、シナ事変以来払ってきた帝国の犠牲は水泡に帰する」
その一方で開戦賛成派は「交渉はもちろん決裂なり。これにて帝国の開戦決意の踏切り容易となれり。めでたし。めでたし。これ天佑ともいうべし」と「大本営機密戦争日誌」に書いている。


筆者は「もし事態を冷静に分析しようとする者がいたら、アメリカがいまなお原則論にこだわり、あえて日本を侮辱する挙に出た背景をさぐるはずだった。が、誰もそうは考えなかった。アメリカ側の罠に落ち込んでいくだけだった。皮肉なことに、アメリカの戦略を助けたのは、統帥部の将校たちであった。彼らは目前の事実しか見ず、微細なその事実に責任を持つだけだった。ところが不思議なことに、彼らは国民の意を動かす自信だけはもっていた。」と書いている。


ハル・ノートを受けたときと同じ屈辱を、実は日本は何年もの間、中国に与えていた。日中戦争がはじまって五ヶ月ほど経てからの和平交渉「トラウトマン工作」がそれで、「北支に非武装地帯設置」「中国は抗日政策中止」「共産主義と戦う」という内容であり、蒋介石も了解していた。
しかし「戦闘に勝っているのに、なぜゆるい条件を示すのか」という陸海軍将校により、条件は敗戦国に対する要求に変わった。
昭和13年1月14日、蒋介石より日本の条件をくわしく知りたいという回答がきたが、講和に誠意をもっていないと、日本政府は「爾後国民政府を相手にせず」と声明を発表した。組み易しとみるとつぎつぎと過酷な条件をつみあげる。ハル・ノートで興奮した症状は、加害者であったときの傲慢さと表裏の関係にあった。
ハル・ノートが日本の尊厳を傷つけたというなら、中国に示した条件によって徹底抗戦の意思表示をした中国人の怒りを理解しなければならなかった。


ルーズベルトは6日夜、「日米両国は一世紀前から交渉をはじめ、友好と平和を保ってきた。いまこそ太平洋の暗雲を払うために、お互いに協力しなければならないとき」というメッセージを天皇に伝えるように駐日大使に送った。もし日本がこれを受け入れたら、アメリカは中国と英国の信頼を失い、反枢軸戦線はつまずいてしまう。その危険をおかしてでも「最後の瞬間まで米国は力の政策に反対し、和平の意思をもちつづけたのに、無謀な日本は不意打ちをくらわせてきた」という歴史的なアリバイをつくっておこうと考えていた。


陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)
陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)